ブルークローバー・キャンペーン杉原輝雄プロ スペシャルインタビュー
闘病生活を通して、はじめて"父"と"子"になれた気がします。
前立腺がんと闘い続けた父・杉原輝雄さんの思いを
プロゴルファー 杉原 敏一さん
すぎはら・としかず●1964年大阪府生まれ。ヒグチ歯科グループ所属。"ゴルフ界のドン"杉原輝雄氏の長男として注目され、90年「大京オープン」でツアーデビュー。プロ2年目の91年には「関西オープン」ツアー初優勝。得意クラブはパター。
6月9日、JOYXゴルフ倶楽部 上月コース(兵庫県佐用町)で開催されたゴルフトーナメント「BLUE CLOVER JOYX OPEN 2012」。前立腺がんの早期発見・適切治療を啓発するブルークローバー・キャンペーン運営委員会が特別協賛するこの大会に、特別な思いで臨むプロゴルファーがいた。昨年12月、前立腺がんで惜しまれながらもこの世を去った杉原輝雄プロ(享年74)を父に持つ、杉原敏一プロだ。
がんに負けるイメージがわいてこなかった親父はそれだけ「強い人」でした
杉原輝雄プロは、敏一プロにとってどんな存在でしたか?
杉原敏一プロ(以下杉原)
僕がプロゴルファーになったのは親父(おやじ)の影響。だから「お父さん」というよりは「一人の強い男」「厳しいプロゴルファーの先輩」というイメージですね。思い出すのは、とにかく注意されたり、叱られたりといった場面ばかり。小さいころから、あいさつや礼儀など、しつけには特に厳しかったです。親父はツアーで家を空けることが多く、世間一般でいう「父と子」らしい思い出もないんですよ。僕がプロになってからも、教えてくれたのはスイングのことがほとんど。メンタル面を教わった記憶はありません。おそらくプレーで伝えようとしていたんでしょうね。親父のキャディーに何度かついたことがありますが、そこで感じたのは「あきらめない心」。悪いホールが続いても、悪いなりに我慢して。切り替われるタイミングを待ち、いざ切り替わったら良いスコアを連発する。親父と共にしたラウンドには、今でも見習うべきことがたくさんあるんです。
輝雄プロが前立腺がんを公表されたのは、1997年(当時59歳)のことです。
杉原
僕がそれを知ったのは、確か新聞での報道でした。直接は聞いていないんです。公表後も深刻な様子は何一つ見せず、普段通りに練習していましたね。ゴルフ中はもちろん、私生活でも親父は人に弱みを見せない性格で、それだけで勝負に負けていると感じるタイプなんです。僕の母親も心配していたのでしょうけど、当時から親父は絶対で、親父の決めたことで物事は進んでいきましたから。「(前立腺がんについて)触れてくれるな」といったら、そういうことなんでしょう。それに、僕たち家族にとって親父は何よりも強い存在。病気に負けるイメージは一つもわいてこなかったし、親父なら前立腺がんを追い払ってくれるだろう、とまで思っていました。
闘病生活が強めてくれた家族の絆前立腺がんの早期発見には、PSA検査を
2008年にはリンパ節への転移が認められながらも、輝雄プロは「生涯現役」にこだわられました。
杉原
試合に出場したい思いが強かったから(年齢的にも復帰までに時間を要するであろう)手術療法が、まず親父の選択肢から消えました。そこで選んだのが、がんの増殖を抑えるホルモン療法。ただ、女性ホルモンの影響で筋力が落ち、ドライバーの飛距離も落ちてしまうことが嫌だったのでしょう。PSA値が落ち着いている時は、ホルモン投与を自ら中止することもありました。しかし落ちた筋力を加圧トレーニングで補強したり、今まで以上に体のケアに気を配ったり......。「つるやオープン」での史上最年長(68歳10カ月)予選通過や、中日クラウンズでの連続出場記録(51回)は、がんになっても常に現役へのあくなきこだわりがあったから、成しえたことなのでしょう。
親父が亡くなったのは2011年の末です。それ以前から起きられない状態が続いていて、通院にも付き添いましたが、まさか親父の乗る車椅子を自分が押すとは思っていませんでした。繰り返しますが、それだけの存在感だったんです。でも、ようやく最後に「普通の親子」になれた気がするんですよ。ケーキを小さく切って食べさせたり、痛む腰を押したり。「何か食べる?」なんて、昔は聞けなかったこともようやく聞けるように。今となっては、父と子の絆を確かに感じ取れた経験だったと振り返ることができます。
前立腺がんの早期発見に役立つPSA検査。日本での受診率は約10~20%と低いものです。
杉原
親父が前立腺がんになった時、僕は書籍を読むなどして理解を深めました。それまではどんながんかも知りませんでしたが、今ではPSA検査によって早期発見できると治療の選択肢が増え、根治可能ながんだと認識しています。大切な人の元気がなくなっていくのは、何よりもつらいですよね。親父の闘病生活で実感したことですが、大切な人を支えるには、やはり家族がつながっていることが大事。そうすれば、精神的にもきっと和らぐでしょうから。親父は口には出しませんでしたが、きっとそう思ってくれていたと信じています。
前立腺がんの早期発見・適切治療と、PSA検査受診の大切さを発信するのが、ブルークローバー・キャンペーンであると、この大会前に聞きました。当初の僕のように、前立腺がんという言葉さえ知らない人もいるでしょう。キャンペーン活動の広がりで、助かる患者さんや周りの方もたくさんいると思います。どんどん浸透させてほしいし、僕も応援します。ゴルフは高齢になっても楽しめるスポーツですから、心配事は早めに取り除いて、いつまでも元気いっぱいにプレーしてほしいですね。
親父が亡くなってからは、残してくれた教えをかみしめながらいつもラウンドしていますが、明日の「BLUE CLOVER JOYX OPEN 2012」(※インタビューは大会前日に実施)は、その思いが一層強くなり、これまで以上に親父の存在をそばに感じながらのラウンドになる予感がします。生前は、親父と一緒に回るのは怖くて仕方なかったんですけど(笑)。今以上に活躍して、ブルークローバー・キャンペーンへのサポートもアピールできればいいですね。